ゲームは能動的行為?
正確なデータは拾えませんでしたが、私が子どものときと比べて子どもの(子どもに限った話ではないのだが、ここでは子どもについて)時間の使い方は著しく変わりました。外遊びの時間は減り、ゲーム(テレビゲーム、ビデオゲーム、モバイルゲーム、オンラインゲーム等)やテレビ、動画視聴に費やす時間が激増しています。今回はその中でも激増した液晶に向かう時間について考えてみます。
まずゲームについて。ゲームばかりしていることを心配する大人は多い。しかし実はそこまでの悪ではないのかなとも思い筆を執りました。子どもがゲームをしている様子を見ていると、そこには成功体験と失敗体験があります。成功体験の時はリアルと同じように高揚感を味わい、失敗体験の時には悔しさや失望感を味わっているようです。そして成功体験の後には再現性を求め、失敗体験の後には改善を試みているように思えます。
これはリアルの世界、とりわけスポーツと似ているのではないでしょうか。特に失敗の後には次はこうかなああかなと試行錯誤をしていますし、初めてのステージや敵と対峙するときには様々な情報を収集しながら進めていきます。クリアできなかったり敵に負けたりしたときの悔しい感情もスポーツのそれと似ている気もしてきます。
こう考えてみるとゲームに熱中するのもあながち悪いことばかりではないのかなと思います。後に述べるテレビやウェブ動画視聴と比べたら能動的な時間の使い方と言えるのではないでしょうか。(一応言及しておくと、失敗しても何度も簡単にやり直せるところや、視野の範囲と距離が一定なのはリアルと違うところなので、リアル体験と比べるとやはり劣る部分はあることは事実です。)
一方でテレビやウェブ上の動画視聴はどうでしょう。テレビは流れている情報がただ単に入ってくるだけですね。コンテンツや時間が定められているので、ウェブの動画視聴よりは受動性が高い一方、情報の範囲は広く、自分の興味外の情報やアンテナを張っていない範囲の情報も入ってきます。ウェブ動画視聴は自分の興味分野を狙って視聴している分、テレビに比べれば能動的とも言えますが、世界観が限定されるというデメリットもあります。これらはメリットを拾ったとしても、そこに先に述べたような体験感情は得にくいですね。あくまで受動的な時間の過ごし方と言えると思います。
以前に「ゲームでスポーツが上達する?」という記事を書きましたが、そこに書いたメリットも含めて、ゲームというのは今の時代の中ではどちらかというと有益な行為なのかもしれません。当然リアルが一番という部分は譲れませんが、それ以外の選択肢の中ではゲームの遊びは行為としてはポジティブに選択したいものの一つになりえると思います。
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