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体幹をトレーニングすることについて

体幹の正しい ( と思われる ) 使い方、理解の仕方、トレーニングをすることについて自分なりの考えを書きます。 その前に体幹という言葉の定義が難しいのですが、これについては議論が尽きないことを承知した上でここでは四肢と頸部、頭部以外の部分、言い換えれば胴体というように使いたいと思います。腰椎部分と胸椎部分でまた役割は違うのですが、ここではこの議論は割愛します。 これまでにも『 エネルギーの伝達  -  免震・耐震・制震構造の観点から 』や『 エネルギーの噴出 』という記事で書いてきたことと重なりますが、体幹の主な機能は動きを生み出すことではなく、エネルギーをロスなく伝達することであると考えます。力点が作用点に仕事をさせるためには支点が必要となりますが、その支点となり得るのが体幹です。真ん中がグラグラしているシーソーややじろべえを思い描いてもらうと体幹が機能しないとどうなるかが分かりやすいかもしれません。あるいは折れたバットやゴルフクラブを接着剤やテーピングでがっちり繋ぎ合わせず、セロハンテープや澱粉のりでくっつけてボールを打ってみるといった例も体幹の機能をよく表していると言えるでしょう。 そこで、体幹のトレーニングの重要性または必要性を考えてみることにします。上記の通り、体幹は他のセグメントを機能させるために『運用』することが大事なのであって、それ自体が強くても仕方がないというケースがほとんどです。であれば、体幹のトレーニングというのは運用させなければ意味がありません。 体幹だけを取り上げた本やジムでのプログラムが流行っています(流行りももはや終焉のような気がしますが)が、やはり運用の仕方は書かれていません。 繰り返しになりますが、末梢とは言わないまでも体幹、つまりは胴体についているセグメント腕、脚、頭をどう機能させたいかという方法を見いだす必要があります。 と、ここまでくると体幹のトレーニングそのものはいらないのか?という議論にもなってきますが、やはりそこは必要だと思います。エネルギーを失わないための剛体(正確には弾性を持った剛体)を作るには体幹内部でも出力は必要なわけで、筋そのものと筋活動を行なえる筋道は養わなければなりません。これは「競技だけやっていればいいでしょ」と言ったトレーニング不要論にも似た議論ですね。各セグ

エネルギーの噴出

久々の、そして2015年初めての投稿となります。 定期的にとは考えていますがなかなかそうできずにいます。 さて、今回はエネルギーの流れについて考えてみたいと思います。いつだか水道管の破裂で水が地上に噴き出しているのを見て思いつきました。エネルギーの流れというのはこの水の噴き出しでイメージできると思うのです。 これで大事なのは、エネルギーを「閉じ込める」ということ。 水道管の水もそうですが、行き所がなくなった水が (水は次から次へとやってくるので )上へと噴き出すわけです。運動のエネルギー(“運動エネルギー”でない点に注意)においても似たようなことが言えて、どこかで力を溜め込むことで開放するべきところへエネルギーが流れていくのだと思います。 簡単なところで言うと、スクワットで膝を動かし続けてはいけないというのはもちろん怪我のリスクや物理的な力発揮の効率から言っても悪いのですが、このエネルギーを閉じ込める部分においても大事です。膝が動き続けるスクワットというのは地面からもらうエネルギーが足関節に続く2番目の関節の時点ですでに失われてしまうことになります。 ここから、ランジにしても、ステップアップにしても、ひいてはスプリントの加速にしても同じ原理が当てはめられるのではないかと考えます(2次元)。これをさらに3次元にすると、野球のバッティングであったりピッチングであったり、テニスのストロークであったりサーブであったり、ゴルフのショットだったり、にも同じことが言えてきます。 指導現場においては“壁”と言われたりもしますが、壁とはつまりエネルギーを閉じ込めるための“条件”なのではないでしょうか。前述の水道管で言えば水道管のどこかに壁を作ると水が行き場を失い、 それでも水は増え続け 、隙のある上方へ移動し、マンホールを押し上げるといった感じになります。この壁というのは軸という言葉に置き換えられなくもないかもしれません。ただ厳密にはちょっと違うかなという気もするのでここではこの議論はおいておきます。 それで、もし一番下の水道管に壁または詰まりが出来ても、地上に出るまでのパイプに漏れがあると水の勢いは衰えてしまい、マンホールを押し上げるほどの力はでないかもしれません。これは体においても同様で、下半身でエネルギーを溜め込むこと