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1月, 2017の投稿を表示しています

あそぶことは難しい

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最近ブームの「あそび」について続きます。 先日参加した「原っぱ大学」 子どもにあそびを提供する環境が必要だと過去に記事で書きましたが、それは一筋縄ではいかないようです。そこには社会的背景が関わってくるからです。 まずは親の問題。 子どもにあそびを与えるには、まず親の心にあそびがないと難しいと思います。 (注釈は不要かもしれませんが、ここでのあそびとはゆとりのこと。) 休みがない、朝から晩まで働いている、単身赴任、今は何をするにもお金がかかる時代の中であそばせるお金がない、汚れた服の選択が億劫、、、などなど、こどもにあそびを与えない「言い訳」は挙げれば枚挙に遑がないぐらい多くあります。 でもこれは単に親だけの問題ではないですね。 社会の問題です。 でも社会の問題は自分一人ではなかなか変えられないので、一番変えることができる自分を変えるしかないのです。 もう一つ親の心のあそびに関しては放置することが難しいです。 忙しさに負けて「見守る」「任せる」といったあそびが大人になくなってきています。 時間的な制限、他の子どもとの比較などがこどもの自由を奪ってしまいます。 あそびですらあそび方を指示する(または制限する)ことも増えてきたと感じます。 スポーツを含む習い事でも同じことが見られます。 「こう走りなさい」「こう投げなさい」あたかもそこに正解があるかのように指示が飛び交います。 これに関しては語れば長くなってしまいますので別の機会に。 そしてその習い事。 最近のこどもたちのやってることを見聞きしてみると、テニス、水泳、野球、習字、英語、公文、塾、、、といった習い事の多いことに驚かされます。多様な経験と言えば聞こえがいいですが、いったいいつあそんでいるのでしょうか。前述した大人と相違ないように疲弊しているこどもたちが多く見受けられます。習い事はあくまである一つの手法を習うことになり、そこに想像力だとか自分の創意工夫は生まれづらいです。やっぱりここでもあそびに勝るものはない、と、こうなるわけです。 それと場所の問題。 今はあそぶ場所がどんどん制限されています。 ボールあそびをやってはいけない、自転車を乗ってはいけない、もっと言えば大昔にはなかったマンションが増えた結果

桶の理論をアスリート形成に当てはめる

先週久々に一つ書いてみたらポンポンとアイディアが浮かんできました。 アウトプットの大切さを早速実感しています。 私の今の業務は運動指導がメインとなっておりますが、そもそもの私のバックグラウンドはアスレティックトレーナーの勉強をしたことから始まりました。学生時代とアスレティックトレーナーとして働いていたときのことを振り返ると、ミクロな視点で身体を観ていたと感じます。今では逆転してかなりマクロな見方ができるように(ようやく)なってきました。前回の投稿「 育つ環境が大事 」もそんなところから派生したことでした。 現在ではスポーツ科学はかなりの発展を遂げ、20年前には分からなかった多くのことが明るみに出て注目されるようになりました。私が見てきた世界を辿ると古くは肩のインナーマッスルのトレーニングから始まり、コアトレーニング、筋力トレーニング、最近では呼吸、ムーブメント、栄養、筋膜リリースなどなど、多くのスペシャリストがその効果を提供してくださっています。 私自身はどの分野においても秀でた知識も経験もありませんが、どれも大事なことなのでそれらをトータルでコーディネートすることが求められているのだと思います。先日、あるアスリートとこの話題になり、「桶の理論」を思い出しました。 そう、必須アミノ酸の説明で使われるあの「桶の理論」です。 詳しい説明はアウトソースに頼ります。 http://www.kokusai-journal.net/oke.html 画像出典: http://animal-nutrition.evonik.com/product/feed-additives/en/about/healthy-nutrition/animal-nutrition/pages/default.aspx ここでの桶を構成する一枚一枚はアスリートを構成する様々な要素を表すとします。 筋力、持久力、スピード、判断力、動体視力、栄養、頭脳、テクニック、、、 どれか一つの板だけ長くても仕方がないのです。すべての要素を突き詰めてそれをコーディネートすることが大切です。 一つの要素や方法論が万能なわけではなく、様々な要素を統合することがアスリートを形成していくのだと思います。 「○○は良いアスリートになるには必要だけども

育つ環境が大事

久々の投稿です。 最近アウトプットの重要性もようやく理解してきたので2017年(以降)はなるべく投稿を増やしていきます。 今回は環境整備について。 アスリートに持つべき要素として、「能力」「感謝」「欲」の3つは必須と考えます。 前回の記事「 スポーツやアスリートの存在意義や存在価値 」でも同じようなことは述べました。 それで、この3つの要素というのは年齢を追うごとに習得が難しくなってくると感じます。 名著「Now, Discover Your Strengths(日本語版:さぁ才能(じぶん)に目覚めよう)」によれば、人間は1000億個の脳神経細胞を持って生まれ、その神経細胞同士はコミュニケーションを取ろうとしてシナプスを形成し、3歳までに1つの神経細胞につき1万5000個のシナプスを持つようになると言います(本文内では1億5000個と書かれていますが、これは1万5000個の間違いだと思います)。これをピークに15歳までの間に無数のシナプスが失われ、16歳の誕生日には約半数まで回路は減少するそうです。 「利他の気持ち」「負けず嫌い」こういった性格の基盤はそういった時期に形成されると言います。実際に引用の本文内でも強みや資質はここで形成されるとあります。その期間最も関わりが強い人間と言えばそれはやはり親になります。どの学校の先生でもなく、スポーツクラブの指導者でもなく、親です。(または場合によっては祖父母かもしれませんが。) そしてアスリートの能力、これも後付で形成できるものももちろんあると思いますが、やはり前述の性格と同時期の「経験」が必要だと思います。たくさんの種類の遊びを通していろいろな経験をし、そこから運動というものを学んでいきます。昨今大事だと言われている投げる、打つ、走る、泳ぐ、蹴る、跳ぶなどの基礎的な運動は遊びから得られるものが多いです。多くの文献にもありますが、しかもそれらは強制されれたプログラムではなく、自発的な行動から得るものが質としても量としても一番良いと言われます。 小さいころから野球クラブに所属し投げ方や打ち方を教わったり、水泳クラブで泳ぎ方を教わる人もいるでしょうが、やはり遊びに勝るものはないと思うのです。遊びから運動のコツや身のこなしというものを感じて身に付ける。その上である程度年齢を