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型の外へはみ出す

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勘のよい人はまずタイトルの矛盾に気づいたと思います。 前回の記事で型を持つためにトレーニングを行うということについて書きました。「 動きの型を持つということ 」 今回はある意味ではその反対の意味合いを持つ記事になります。 とある運動課題だけが与えられたとします。 ・サッカーであれば手を使わずにゴールの中にボールを入れる ・スキージャンプで誰よりも遠くに飛ぶ ・走り高跳びでは誰よりも高く跳ぶ 選手はどのような動作でその運動課題をクリアするのでしょうか。きっと今まで見聞きしてきた動作、指導者に教えられた動作を選択するでしょう。しかしながら、実のところ型にはめられすぎるとどうもうまくいきません。前出の例で言えば順に、どの様に蹴るか、どの様に飛ぶか、どの様に跳ぶかなど、指導された方がパフォーマンスが落ちるケースというのは多々あります。だから指導というのはとても神経を使いますし、下手な知識ではできないです。 先日行ったドイツのライプツィヒではこんなことが言われていました。 「バイオメカニクスが未来の技術を予測したことは未だかつてない」 2週間のドイツ滞在の中でこの言葉が最も印象に残っています。 サッカーのオーバーヘッドキックは自分の位置からゴールと反対側に高いボールがあったときにそれを一撃でゴールに向かって蹴る行為を考えた結果それが生まれたのでしょう。 スキージャンプのV字飛行は、空気(風)を利用して飛行時間を長く保とうと考えた結果それが生まれたのでしょう。 走り高跳びの背面跳びは挟みとびやベリーロールよりも効率よくバーを越えようと考えた結果それが生まれたのでしょう。 バイオメカニクスはその動作を“後から”分析したに過ぎません。 (先駆者以降の競技者が同じ動作をしようとした際の参考にはなったかもしれません。その意味でバイオメカニクスが重要な学問であることには間違いないので、決して不要論ではありません。) それでは、そのような動きはどこにヒントがあるのでしょうか。 ここ最近の記事をお読みになった勘の良い方はお分かりかもしれませんが、やっぱり“あそび”から生まれたのだと考えます。ここで言うあそびには、あそびの中で蓄積された運動知もそうですが、もう一つの意味では心のあそびも含まれていま

動きの型を持つということ

トレーニングにおいてある型を練習する 実際の(対人系or球技系)競技ではそんな動きはないかもしれませんし、その動きを実行する機会に恵まれることなんてほとんどありません。実は意味のないことのようにすら思えます。 それでも私はトレーニングにおいて型を作っていきます。 ではなぜトレーニングでは型を大事にするのでしょう。 それは折り紙の折り目を付けていく作業に似ていると思います。 そこで折るのが一番容易になるように。 また川やグラウンドで水道を作るのと似ているかもしれません。 そこに水が流れやすくなるように。 その行為を意識せずともそれが行われるという回路を作る。 つまり下意識の層へとその動きを潜り込ませていく作業になります。 電気回路でもそうですが、抵抗が最も少ない道を電気は通ります。 生理学的には説明がちょっと異なりますが、神経筋協調も電気回路なので似たように考えられると思います。 逆に言えばそれ以外の動きをしたときに違和感を感じるということです。 その違和感を感じるようになればしめたものです。ただしここで言う型とは単に形を意味するのではなく、以前の記事「 ウエイトトレーニングをしっかりと考える 」でも書したように筋を動員するタイミング、動作を遂行するタイミング、関節角度、筋の緊張度などの内部感覚までを含めた型になります。 むしろ私個人の取り組みとしてはフォーム云々よりもその感覚の訓練という意味合いが強いです。 そうして型ができたら、というより型を作りながら実際の競技をどんどん練習します。トレーニングしたような動きが含まれていようと含まれていなかろうと関係ありません。動作遂行の層が高くなればなるほど(試合に近い状況であればあるほど)動きそのものに意識はいかなくなります。その際に実際の動きでその型が利用されているかどうかを見ていきます。型をしっかりと浸み込ませられていれば、そこでは意識せずとも求める動きが違和感なく引き出せるようになってきます。それは折り目をたくさんつけた折り紙は、角と角を合わせるなどといった意識をすることなく簡単に鶴が折れるようになるような現象と似ています。そしてその折り目が丁寧であればあるほど綺麗に折ることを意識せずに完成させた鶴もきっと綺麗に折られているはずです。 (逆に