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経験と教育 そして大人の役割

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アメリカの哲学者・教育思想家のジョン・デューイ氏の『経験と教育』を読みました。 2回読んだものの、解釈はとても難しかったです。ただ、私なりにシンプルにまとめると ・子どもの成長には多彩な経験が必要である ・大人の役割は経験を積むことができる環境を用意すること といったような感じです。 教育思想家として一方的な知識の享受を目的とした伝統的な教育方法に警笛を鳴らしていた部分に関しては大いに共感しました。でもより感銘を受けたのは“経験の連続性”という原理です。 “先行する経験は後続する経験の質に影響を与えざるを得ない”という考え方はしごく真っ当であり、当たり前のようですが、とても重要な概念を孕んでいると感じました。 以前より私がこのブログで主張してる運動財に関しても同じことが言えると思います。たくさん遊んで、たくさん成功したり失敗したりして運動の経験を積んでいくと、その経験がやがて地となり肉となり運動感覚(コツやカンを含む)が養われていきます。 「負けたことがあるというのがいつか大きな財産になる」というあの名言にも通ずるものがありますね。心理面や人間形成においても同じ原理が適用されるのだと思います。 しかし、ここで私が言いたいことは何も運動やスポーツに限ったことではありません。 生きるチカラを養っていくのに、やはり経験というのは何にも替え難いものになるのだということです。 冒頭のデューイ氏の別の著書「民主主義と教育」には以下の様に記されています。 ・大人が子どもに文化を伝達し、子どもを社会の一員とする ・子どもに新しい文化を創造する能力を身につけさせる(成長する能力) ・変動する環境に適応できる力を教育によって育てる なるほどと首肯かざるを得ないほど見事に正鵠を射ていると感じます。 同著にはまた以下の様にあります。 「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の進路を方向付ける能力を高めるように経験を改造あるいは再組織することである」 これがいわゆる大人の役割なのでしょう。教育者や指導者だけでなく、親も含まれ、ひいては子どもを持たずともすべての人間が後世の種に何かを伝える際にはこの観点が必要になろうかと思います。冒頭の私の解釈に戻りますが、子どもが多彩な経験を積