誰のためなのその指導?

"スポーツを子どもに返そう"


子どもがやるスポーツはやる本人のためであり、決して大人のものではないということを再認識する必要があると感じています。(ここで言う「大人」とは大半において親や指導者を指す)


例えば子どもの大会。大人が子ども以上に必死になっている姿を良く見ます。アップはしたのか?今日はどう戦うのか?気合入りまくって勝つことが最大のゴールであるかのような大人のアプローチ。その大会で勝ちたいのは誰なのさ?そもそもやる本人は勝ちたいと思っているのか?という話。


また例えば普段の練習指導。
「今のはシュートじゃなくてパスだろ!」
「どうして流し打ちしないで引っ張ったんだ!」
「バックハンドじゃなくて回り込んでフォアで打てよ!」
往々にして見られるシーンですね。


ちょっと待って。それって誰のために言っているの?という話。
「ストレッチはやったのか?」
「素振りはやったのか?」
も同じですね。


きっとその子どもは自分なりに意志を持ってそうしたはず(そうでなければ誰かに言われたからそうしたか、誰かの目を気にしてそうしたか)。それをあたかも正解がそこに存在するかのように言われてしまう子どもたち。しかもタチの悪いことに大半の場合良かれと思って大人がそうしているという事実。「お前のために言ってるんだ」と言わんばかりに。それではせっかく楽しいからやっているはずのスポーツが楽しくなくなってしまうのは火を見るより明らかです。最近流行りの自己肯定感なんて育つはずがない。


正解がないのがスポーツというもの。やりたいからやるのがスポーツというもの。それなのにいつの間にか大人が子どもにいろいろなことを強いてしまっていることが多いです。


子どももはロボットではなく、意志を持った人間なのです。大人は自分の思いで「勝たせたい」とか、「こうやってプレーしてほしい」と強制するのは違うと思うのです。自分が思う通りに行動しないのが子どもってものです。大人がどうしたいかではなく、子どもがどうしたいか。これを尊重したいです。大人の役割はあくまでも環境を作ること。


子どもは小さな大人ではないのです。だから、スポーツを子どもに返そう。




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