スポーツやアスリートの存在意義や存在価値

久々の更新です。というより更新する時はいつも久々です。

今回は2名の尊敬する指導者の投稿を紹介したいと思います。
1人目は朝倉全紀氏
2人目は勝原竜太氏


私自身、日々スポーツの存在意義、アスリートの存在意義や価値に関して思いを巡らせていますが、上記2氏の文章には大変感銘を受けました。

本来スポーツというものは第一次産業と違い、ヒトという生命体の維持活動や種の保存に直接関係のあるものではありません。端的にしかも大胆に言うと無くても生きていくには困らないものであり、言い換えれば余暇や余財を使って行われるものと言えるでしょう。

ではなぜスポーツは存在し、アスリートは研鑽を積むのでしょう。

答えは個によって異なると思いますが、朝倉氏の言うようにhuman enhancementや社会へのインパクトというのはやはり重要なファクターであるのは間違いないでしょう。

自分の実力を上へと伸ばす努力は最低限であり、真のアスリートというのはそこから更に自分がいかに他に影響を与えられるかという部分まで視野の範囲を広げられることでしょう。(ここで言う"他(タ)"には、自分のライバルすら含まれるはずです。)

かっこ良く言えば、夢、希望、生き様、感動、そういうことを与え、見せることが一つの責務です。責務ということは、そういったカッコイイ産物を創造するための責任を負い、それにより自分が社会の一部となり、そこで生命維持活動には必要のない余暇余財を使ってのスポーツにおいて自分の存在価値が生まれることになるのだと思います。

ダルビッシュ投手は、「自分には責任がある」と言っていました。
上記のようなことを成し遂げる権利を得たものは、そのために勝原氏の言うように全ての要素を追求し、コーディネートし、高みを目指す責任があると。しかも彼のようにアスリートが高みを目指すのは自分のエゴでは無く、あくまでも社会に対して自分がインパクトを与えるためであって欲しい、そう願います。



私の戯言はともかく、上記2氏の文章、どうかご覧になってください。

偉そうなことを綴りましたが、まず自分もその一部となるための努力がもっともっと必要であることは自認しております。頑張ります。

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