考えるチカラ

これからの時代は考えるチカラが必要

と言われて、否定派の人はおそらく肯定派よりも少ないのではないでしょうか。

考えるチカラ
決めるチカラ
考えを発信するチカラ

これが今の子どもたちには不足している気がします。
例えば休日一つの過ごし方をとっても、どこに行きたいとか、何が食べたいとか、何がしたいとか、そんな自分の過ごし方でさえ考えを巡らせ、そして決めることができないということが実際に起きています。

原因はいろいろあると思います。

休みの日になって、朝車に乗れば黙っていたってどこかの場所に着くし、お昼になって席に座れば食べ物が出てくるし、そもそも休日の予定は大人(親)が決めてしまっている、、、。

もしかしたらという仮説ですが、大人(親)が忙しすぎるのかもしれません。忙しいとどうしても子どもに考えさせるという機会や会話を持たなくなります。何事でも答えを教えてしまえば楽だし、時間だって短縮できます。

でもこの問題、紐解いてみれば、誰もが通ってきた道なのです。正確にはほぼすべての人がとなるのですが、それは学校教育です。

朝、決められた時間に行ってチャイムが鳴れば朝の会をし、次のチャイムが鳴れば望むか望まないかに関わらず算数の授業が始まり、またチャイムがなれば望むか望まないかに関わらず(どんなに集中していようと)そこで授業は終わります。給食も1ヶ月単位で出されるものは決まっていて出てきたものをただ食べるだけ。こうして学校の1日というのは考えるという作業をせずに流れていきます。

極端な言い方をすればこの流れは高校もしくは大学、つまり社会に出る直前まで続きます。そこで突然社会に放り出されて考えるチカラを求められても、、、というのが新社会人の言い分かもしれません。

ではどうしたら考えるチカラを養えるか ですが、これはもう考える機会を与えていくしかないのではないでしょうか。「なぜから始めよう」といった本にもあるように、事の大小を問わず、ある決断事項に対して考えをめぐらせ、(根拠を持って)決断する。このこと自体がトレーニングとなっていくのだと思います。

大人(親)の立場として大事なのは“選択権を子どもに与える”ということでしょう。選択された子どもの意思を尊重しなければならないリスクも当然伴いますが、選択、決断という作業をせずに大人になっていくリスクに比べたら大したことないはずです。「分からない」「なんでもいい」と答える子どもが増えています。そこに正解などないわけですから、怖がらずに決断をしてもらいたいものです。

大人になれば自分のこと以外にもたくさん考えなければならないことが出てきます。でも自分のことを考えられずに他のことは考えられません。なので、まずは自分の意思がどうなのか向き合う機会を多く設けて、それを表に出せるようになってくれたらいいなと思います。


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