運動習得に臨界期はあるか

糸山泰造先生の「思考の臨界期」をある方に紹介していただきました。面白かったので同氏の著書「絶対学力」その他数冊も読了。ぼんやりと思っていたことがスパッと切れの良い言葉で綴られていて、かつ具体的なアプローチも書かれており、また一つ勉強になりました。

12歳までに考える力を身につけないと一生身につけることはできなくなりますよという強いメッセージではあるのですが、どうやら神経学的にこの主張は説明ができるようです。そうだろうなと思っていたことも多く、改めて自分が関わる子どもに対しての教訓としていこうと思ったわけなのですが、運動指導従事者としてもう一つ思い当たる節がありました。

思考の臨界期とはつまりアスリートを育てるのにも臨界期であるということ。

運動の観点から言っても、運動の種別によって習得の適齢期というのがあり、それを逃すと後の習得は不可能と言わないまでも、なかなか大変な作業になるというのはこれまでに幾多も経験してきました。これは単純に投げることができるとか、泳ぐことができるとか、そういうものではなく、段階を経た条件の整備であって、ハイパフォーマンスというのは過去の運動体験の集積の結果成されるものと言ってよいと思います。

ボール勘や相手を欺くフェイントなどは幼少期、児童期のトライ&エラーの賜物だと言えるでしょう。12歳が運動の絶対的な臨界期だとは思っていませんが、臨界期を過ぎてからボール勘を養おうとしてもとても骨の折れる作業となります。コツやカンの基になるのは過去の運動体験ですから、それがない場合にはその体験を積んでいくことからのスタートです(このあたりは前回の運動の制御の問題ともリンクしますね)。前にJ・デューイの「経験と教育」の話を出したことがありますが、経験していない昨日の自分と経験をした今日の自分は別物で、当然パフォーマンスも異なってきます。

それともう一つ、アスリートというのは単に運動能力がモノを言うわけではないので、当然人格が必要になってきます。人格と言っても徳の問題ではありません(当然あるに越したことはないのですが)。負けん気な性格とか、自己犠牲だとか、目標に向かって努力することとか、内省を次に生かすこととか、周りの協力を得ることとか、そういった人格がスポーツで頂点を極める上で必要不可欠になってくると思うのです。その点においては冒頭に述べた思考力の問題もありますし、性格的なものは環境に左右されると思うので、どういう環境で育ったかということも当然大事になります。

思考も運動も性格も、結局は環境ということになってしまうので、これまでの私の主張と何ら変わりはないのですが、時期を見定めて必要な事柄を提供していきましょうねという話でした。


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