アスリートの仕事は還元すること

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大谷翔平を育てたのは日本ハムだけ?高校や育成クラブの貢献に報酬を。


この記事を読んで少しばかりの違和感とちょっとした不安を覚えました。
同じ論調で言えば契約金をもらったのは大谷選手だけ?譲渡金をもらったのはファイターズだけ?ノーベル賞の賞金は?芥川賞の賞金は?発光ダイオードの特許使用料は?という話になってしまうのですが、そんな議論をここでするつもりはありません。

一番腑に落ちない部分としてはスポーツとは何?というところ。
繰り返します。スポーツって何なのでしょう?
ざっと思い浮かぶものを並べてみるといろいろあります。
娯楽、戦争、遊戯、趣味、教育、ビジネスツール、自己実現ツール、、、
具体的な定義は文部科学省の「スポーツ振興基本計画」内の文面に譲りますが、本来はやりたいからやるものというのが基本線のような気がします。

スポーツはやる他に、観る、応援するという関わり方もありますが、例えば自分の子どもの勝ち負けに一喜一憂する親、選手の活躍に一喜一憂する指導者、贔屓のチームの勝ち負けに一喜一憂するファン、そこに利害はなく、無償の愛であるのが本来の姿だと思います。

仮に記事の文面のような形を実現したとすると、そういう一攫千金ビジネスへと発展しかねない恐れがあります。どうしたってそう考える輩は出てきます。百歩譲って民間のクラブチーム(大谷選手の例で言えば中学時代のリトルシニア)がそれを狙ったビジネスモデルを採用していたとしても、部活動としてはまだその領域には踏み出せないのではないでしょうか(一時期スカウトを介して問題になったことがありましたね)。

ちなみに、経済の一つの歯車として機能するのであればスポーツをビジネスツールにすることに関しては異論はありません。それは周りが勝手にやればいいことです。その上で、、、

これは個人的な意見ですが、お世話になったチームへ還元するとしたら、それは先のチームではなく、そのアスリート本人なのではないでしょうか。「私を育てていただいたおかげでここまでこれました。ありがとうございます」と。お金ではなくても、何らかの形で感謝を伝え、または感動を与え、勇気を与え、希望を与え、無償の愛に応える。それこそがスポーツを通して培った人格の最たるもののような気がします。

アスリートの最終目標は“還元”だと、そのように私は考えます。そのために己を高め、目標を達成し、自己を実現する。アスリートの社会貢献に関しては今でこそ日本でも見られる風潮となってきましたが、大谷選手が行くアメリカではよりそれが盛んな気がします。私もわずかながら関わった中で彼は元々そういった還元ができる素晴らしい選手だと思いましたが、アメリカではそういう部分もたくさん影響を受けて欲しいなと思います。


一年半前にも似たようなことを書いたことがありましたが、あえて加筆修正記事ではなく新たな記事として書きました。

みなさんにとってスポーツとはなんでしょうか。

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