正解を教えるリスク

人間脳を育てる』(著 灰谷孝・花風社)を読みました。

発達障害というものについて、この本により少しだけ理解ができたような気がします(個人的には障害だと思っていない)。本の一部を引用させていただくと、

1.基礎工事がうまく進まず、家の建つのが極端に遅い
2.家は建ったが、工事のヌケ・漏れが多い

ということのようです。
そしてこの2パターンへのアプローチは当然のことながら異なるそうです。

なるほど分かりやすいです。

発達の過程をシャンパンタワーに例えたり、回数券に例えている部分も大変興味深かったですし、やはりそれにより理解は深まりました。

シャンパンタワーは一番上のグラスが満たされれば次の段のグラスに注がれ、その段のグラスが満たされればさらにその下の段のグラスに注がれていきます。そして回数券。ある段階の回数券を使い切って初めて次の段階の回数券が使えるという例え。




そこで問題になるのは、その段階を飛ばしてしまう場合です。
厳密に言えば大人によって飛ばすことを余儀なくされてしまう場合です。

前述の例えで言うと、
仮に途中の段のグラスから注がれた場合、それよりも上の段のグラスにはどう頑張っても注がれないということ。また、使い切らずに次の段階の回数券を使うと、残った回数券が後々ヌケとなって問題になるということ。

タイトルにある「正解を教えるリスク」がここにあります。

右手でボールを投げるのに右足を出すことは発達の段階の一つのようです。それなのに大人が“違う!”と言って左足を投げる方法を教えてしまう。右足を出して投げるという回数券を使わずに左足を出して投げるという回数券を使い始めてしまう。あーでもない、こーでもないと、あれこれ考えるというプロセスは飛ばされます。←これが一番問題。こういった例はボール投げだけにとどまらず、語学でも、数学でも、礼儀作法でも、各分野で起こります。

子どもというのは、各段階やりきって満足がいったら自然と次の段階に移るそうです。さらにはその段階段階において適当な遊びを子どもは勝手に選択するそうです。それを邪魔するのが大人だということ。選択させ、満足させないから問題が起こる。

いやはや勉強になりました。

大事なことは子どもの自然な発達を邪魔しないこと。
気の向くままに。
やっぱり適当と没頭。

Let it be.


つまり帰納的学習法ってことになる。
参考:『子どもには教育ではなく放育を

フィジカルトレーニングって一体なんなのだろう?
参考:『子どもにフィジカルトレーニングはいらない
こう考えると、結局それは大人のためのもののようだ。


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