子どもの心には余白が必要

あそび場での子どもたちへのアンケート結果、そのあそび場での何が良いかという問いに対する答えが「自由なところ」「何をやってもいいところ」「好きなことができるところ」という答えが9割を占めました。

それこそが子どもたちが今一番欲しているものなのだと思います。

2つの記事を紹介します。

「発想力がぐんぐん伸びる! 子どもの脳を休ませる “ぼんやりタイム” が必要な理由」

“退屈な時間” を過ごす子が最強のワケ。将来活躍するための「4つの力」

記事内でも書かれていますが、今の子どもたちは習い事で本当に忙しいと思います。早期教育に関して私は諸手を挙げて賛成の立場をとっておらず、そもそもそれがその時期の子どもにとって本当に必要なものならばカリキュラムに組み込まれている、もしくは学校でカバーされているのではと思うのですが、その議論はここでは割愛するとして、放課後が存在する理由は絶対にあると思うわけです。(課の後に放たれると書いて放課後です)

そもそも、5時間も6時間も座らされて授業を受けた上に、さらに放課後にやる“べき”ことが存在するなんて、個人的には少し不憫に感じます。

何をしてもいい時間、それはつまり何をしなくてもいい時間でもありますが、そういった時間が子どもには必要です。そういう選択肢を与えられずに何をするかを与え続けられた結果、自由選択ができない人間に育ってしまうリスクは十分に孕んでいる気がしています。前回の記事“子どもたちの100の言葉”にもある通り、子どもたちだって余白の中で選択したいはず、選択するための余白が欲しいはず。

グーツムーツに関しての記事は以前紹介しましたが、ここで再度紹介します。

休養は、特に青少年に必要であり、祖国の数百万人の青少年が1日2時間遊戯が行なえる休養があれば、どれだけ人間な時が過ごせることか

大人の目から離れることがすごく困難な時代。子どもの時間や過ごし方にも“遊び”がいることは明白です。



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