子は手を借りて更に熟す

「発達の最近接領域」の理論(レフ・ヴィゴツキー著)を読みました。
発達の最近接領域、、、難しい言葉ですね。
英語ではZone of Proximal Development。
簡単に言うと「一人ではできないが誰かの手助けによってできるようになる伸びしろ」といった感じになるでしょうか。

私はこれまでJJ・ルソー氏の消極教育に代表されるように、「子は自ら育つ」という考えで、放任こそが子どもの本当の成長に繋がると思っていました。タイトルも、これまで私の考えを記した本ブログを読まれてきた方は、違和感を感じたかもしれません。それだけに今回の「一人ではできないが誰かの手助けによってできるようになる」という観点と論理は新たな発見でした。

今思い返せば昨年ライプチヒに行った際に、帰納法と演繹法の話の中で、“演繹的帰納法”という言葉を耳にしておりました。なるほど、そういうことかと、今回の書籍の読了に伴い、理解が深まった感じがします。学習における偏差を認めた上で(偏差的学習)、先人の手助けがあるとより学習の効果が高まるということですね。当然手助けのしすぎは問題になりますが。

模倣という観点も大事で、自分より優れた何かを見ておくことは学習においてとても効果的だと思います。百聞は一見にしかずという言葉もありますが、見たらそのようにやってみようと真似をするものです。私はどのレベルにおいても全力で見本を“見せつける”ことにしています。それすらも、一つの“手助け”になり得るからです。

「未知のなにか」を見せ、体験させ、成長可能性を刺激し全うする。それにより、未到達のレベルに導く。ヴィゴツキー氏は「熟しつつある何か」を察知することが重要だと述べています。今その子が出来ることはどの程度で、どんな手助けをしたらどの様にどの程度まで熟していくのかということを見定め、適切な手助けを施す。これこそが特にジュニア期に携わる指導者の役割だと思います。

「今日子どもが協力の下で遂行できることは、明日になると独力で行なえるようになる」

そんな“明日”を子どもたちに迎えてもらいたいなと思う本日でした。




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