モノマネと守破離

最近の子どもはモノマネができるだろうか。 私が子どもの時はモノマネをよくした記憶があります。野茂、イチロー、大野豊、山本昌、岡崎、大豊、亀山、オマリー、ブラックス、、、他にもカズ、ラモス、ジーコ、木村和司、シジマール、などなど(敬称略)。 今はモノマネをする子どもをあまり見かけません。一番の要因はテレビ放映が少なくなったことでしょう。野球の視聴率低下に歯止めがかからず、ついにはテレビでほとんど放映しなくなりました。1980年代、90年代はおそらく親が見ていた野球がつまらないとテレビの取り合いで親子喧嘩が絶えなかった時代であったと思います。でもつまらないながらもそこに野球はありました。画面上にありました。音も部屋の中にありました。lookでなくてもseeする機会はありました。listenでなくてもhearする機会はありました。それが今はなくなってしまいました。 以前、『 真似るということ 』という記事を書き、そこで真似ることの大切さに少し触れました。真似をするには、まず観察しなければできません。モノマネは観察した映像と自分の動きが一致させられるかが問われます。自分の身体をあたかも外側から見ているかのように感じ取り、イメージ通りに動けているかどうか、こういった能力になります。 このブログに再三登場している金子明友先生の言葉を借りれば、「今ここ」を今、今、今で感じながら「自分はこう動く」を実現するということです。 よくあるパターンとして、自分の動きを映像で撮りあとから見てみると、イメージしていたものと全く違うものが映っているということは往々にしてあります。それは自己フィードバック能力の欠如によります。動きの修正、スランプからの脱出にも必要な能力ですね。 野球はともかく、今私が関わっているテニスにおいては意識的に見ようとしなければ見る機会はほぼありません。したがってモノマネする子どももほとんどいません。 上のレベルの人物になりきる。 守破離の観点から言ってもこれはとても大切だと思うのです。