子どもに必要なのはトレーニングではなく多様な刺激
前回の反省を踏まえ、今回は最初にタイトルを設定しました。 前回の記事で子どもの運動能力が伸びるのに必要な要素を私なりに挙げました。 それで、子どもに対してのトレーニングはいらないと以前から書いていますが、やはり何かを狙って何かをするということは子どもにはそぐわないと思うのです。 子どもにとっては行為自体が目的であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。 それを大人がアジリティのための鬼ごっこだとか、体幹のための手押し車だとか、後から論理的にやろうとするから話が歪むだけのことです。鬼ごっこは鬼が逃げる人を全力で追いかける遊びでそれ自体が楽しいからやるわけです。 で、全力で走るという体験、動く対象物をあっちこっち追い掛け回すという体験、もっと言えばそれがでこぼこな地面でとなれば、それ自体が刺激となって子どもに伝わります。 そういう刺激が運動経験値として蓄積され、運動財を成していくわけです。その運動財が、「まだやったこともないのに、やらなくても分かる感じ」、「もっとうまくやるには、失敗しないようにするには、どうすればいいか分かる感じ」を引き出し、カンやコツとして何かの際に表面化してくるわけです。 それは黄色と青を混ぜたら緑ができるような、そんな感じだと思うのです。 そしてできた緑に赤を混ぜると茶色になる。 そういう反応がいわゆる運動能力です。 料理で言えば肉じゃがの味付けに出汁と醤油と酒と味りんをどの割合で配合するか。 計らずになんとなく入れて思っていた味になるか。 そういう感覚的な調合が運動能力です。 この辺の理解が進むと、器用さ巧みさと混同されているコオーディネーション能力というのが何なのかということが少し分かってくるのだと思います。はっきり言って読者にとっては私のこの支離滅裂な文章を読んで理解するということ自体がコオーディネーションです(笑)。 それで、色の例で言えば少なくとも赤青黄の絵具の三原色は持っていないと他の色は作れないですし、料理の例で言えば醤油がしょっぱくて、味りんは味に丸みを出すとかいった経験知が無ければ混ぜ方だって分かりません。そういう混ぜる元になるものをいっぱい持ってると多数の応用が効くということです。(追記:意外と理解されていませんが、足すだけじゃなくて引くということもかなり重要です。) やったこと