子どもの世界観
あなたの子どもは あなたの子どもではない。
彼らは生命そのものが望んだ息子と娘である。
彼らはあなたを通して生まれてくるが、あなた自身から生まれるのではない。
彼らはあなたと共にいるけれど、あなたの所有物ではない。
あなたから彼らに愛を与えても、思想を与えてはならない。
彼らには彼らの考えがあるのだから
彼らの肉体を住まわせてあげなさい。
しかし彼らの魂を縛ってはならない。
彼らの魂は未来の家に住み
そこには、あなたは夢の中でさえ訪れる事はできないのだから。
あなたが彼らのようになろうと努力するのはよいが、
彼らがあなたのようになることを求めてはならない。
なぜなら、人生は後戻りすることなどなく、
昨日という過去に留まることさえないのだから。
あなたは しなる弓なのだ。
そして 子ども達は放たれる矢。
弓の射手は無限の彼方にねらいを見定め、力強くあなたをしならせる。
それでこそ矢はすばやく遠くへと飛んでゆけるのだ。
射手にゆだね喜んでしなるがいい。
飛び行く矢は愛されている。
そしてまた そこに動かぬ弓もまた愛されているのだ。
これはカリール・ジブランという人が書いた「預言者」(訳は星野道夫氏)という詩集の中の一節です。もし子どもとは血縁関係にあっても、別の人生を歩む別の個体であることを忘れてはいけないということをこの詩は教えてくれます。また、もし指導者という立場であっても「あなたが彼らのようになろうと努力するのはよいが、彼らがあなたのようになることを求めてはならない。」という言葉によって指導者の本質に立ち返ることができます。
ここから親、指導者、全部含めて大人にできることは何だろうかというところに思考をめぐらせてみます。子どもは大人と同じ社会にいる以上、どうしたって大人の世界観に触れずには生きていけません。むしろその世界観が強い中で生きています。しかし事実として子どもは子ども自身の世界観を持っているのです。そこに土足で踏み入ることはよろしくありません(せめて靴を脱ぎましょう)。大人にできることはその子ども自身の世界観を保ち続け、その世界に居続けていいのだという安心を与えることなのではないでしょうか。
しかし、大人や周りのサポートによってその世界観を広げたり伸ばしたりすることができるのもまた事実です。この点においてはレフ・ヴィゴツキーという人が提唱した「発達の最近接領域」という考え方を適用することができるかと思います。これは"自分だけではまだできなくても、他者の助けがあればできること"の範囲のことを指しています。まだ見ぬ世界観、先人だからこそ知る知恵や経験則、コツやカンといった少しのきっかけでもできないことができるようになることは多々あります。これは先のジブラン氏の詩に書かれているような見守り方と違うのではなく、むしろ助勢するような考え方かと思います。
とにかく冒頭の詩に私は魅了されたので今回は紹介させていただきました。なお、ジャン・ジャックルソー氏が言っているような子どもの成長は子ども自身の可能性にかけて極力触らない消極教育という考え方もありますので、どの成長支援が正しいかという二元論ではなく、結局はバランスの問題だと思います。ここはサイエンスではなくアートの部分で、正解や唯一解があるわけではないところに人の成長支援や指導の面白さがあるのだと思います。
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