“っぽい”は“っぽい”ままでいい
子どもがいるところにボールとか打具を置いておくと、子どもたちは勝手に遊び始めます
サッカーボールならサッカーっぽい遊びが始まり、不思議と楕円形のボールならラグビーっぽい遊びが始まります。
きっと今の子どもたちはこれまでの人生で得てきた情報から、サッカーボールは蹴るもの、ラグビーボールは持って運ぶものという認識にはなっていると思います。ちなみに私がドミニカ共和国で見た光景として、棒と投げられるサイズの物(例えば石)があれば、自然発生的に野球っぽいものを始める子どもたちの遊びがありました。先日は段ボール工作での廃材を丸くして室内でサッカーっぽいものが始まりました
実はこの“っぽい”が大事で、ちゃんとしたルールが分からないので子どもたちが勝手に作っていきます。私としてはそれを微笑ましく見ていて、スポーツの根幹がこうした子どもたち自作のスポーツっぽい感じに垣間見えます
ところが、最近のジュニアスポーツの現場を見てみると、やれオフサイドが、やれノックオンがと細かなルールから教え込んでいて、子どもは楽しむことよりもルールを守ることを優先させられています。さらに悪いことにルールだけでなく、「こうやって打て」「あそこにパスしろ」と技術や戦術を教え込んでいきます。これではクリエイティブなプレーヤーが生まれないばかりか、指示待ちプレーヤーのできあがりです。最悪なケースではそのスポーツがつまらなくなって辞めてしまいます
“っぽい”ものをきちんと精度高いスポーツにして、さらには大会にして、、、それで教え込んで勝って何になるのか、こういったことを考えていない指導者、広くは大人がとても多い昨今です。それで勝ってその子は嬉しいのか、嬉しいのは指導者なのではないのか。残すべきは勝利という戦績ではなく、そこに至るまでの試行錯誤ができる人間なはずなのに。(ちなみにこの人育てという点においては、私はスポーツの教育的利用には大賛成という立場ではなく、あくまでどうせ好きなスポーツをやるならそうやって試行と錯誤を繰り返したほうがいいのではないかと思っています)
大人が与えるのは知識や技術ではなく、「どうしたらいいのかな」「次はこうしてみようかな」と考える“余白”だと思います。余白を与えるから人は考え、振り返り、改善し、成長するのだと私は思います。そのために“っぽい”活動をそのままにして見守り、余白の活用を見たいです
これまでにも同様の発信はしてきましたが、やはり私は「好きこそものの上手なれ」「没頭に勝る努力なし」ということを大切にして子どもと接していきたいと思います
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