子どもの居場所と社会問題

最近見つけた2つの記事。

一見これまでの記事と何ら関係なさそうに見えますが、運動能力の低下が騒がれている子どもたちは被害者だと言えるかもしれません。一言で言えば行き場所に困っているのです。上記2つの問題が顕在化した今、親御さんたちの言い分は「外遊びが大事だなんて言われなくても分かってる」というのが本音でしょう。

私の少年時代を振り返ってみると、週末こそ野球に没頭していましたが、平日の放課後はランドセルを置いたら真っ先に校庭へ戻り、来る日も来る日も暗くなるまでサッカーなりバスケなりドッジボールなりに明け暮れていました。またある日は近くのマンションの中庭でカラーボールとカラーバットで野球。これはいわゆる遊びの野球。別の日にはそのマンション全体を使って鬼ごっこ。(今思えばさぞかし迷惑だったことでしょう)
夏休みはと言えば上記に加えてプールがあるので、朝からプールへ行って、昼食べに帰って午後からまたプール。夕方から野球orサッカーorバスケorドッジボールor鬼ごっこ。
どのケースも親の下ではなく、子どもたちだけで遊んでいました。

さて、なぜこれが先の記事のような世の中に変化したのでしょう。
仮説1:公園の減少
調べた結果、公園は減っているどころかむしろ増えていて、仮説は否定されました。ただし、ボール遊びを自由にできる公園は減ったことは事実ですね。

仮説2:犯罪率の上昇
調べた結果、犯罪率は減少していることが分かり、こちらも仮説は否定されました。ただし、見方を変えれば「犯罪情報を得る機会が圧倒的に増えた→親が危険と判断する→外に出さないorPTAや地域の住民で守る→犯罪が起きにくい」ということも言えるわけで、一概には安全になったとは言い切れません。

仮説3:遊び方を知らない
時間も場所もあるが子どもたちが遊び方を知らない。もっと言えば親も知らない。

いずれにしても外遊びが出来ない環境になっていることは間違いなさそうです。それは地域の安全や遊ぶ環境整備を含めた行政の問題でもあり、親の認識の問題でもあります。テクノロジーの問題を挙げる人もいますが、私の親の世代ではテレビが、私の世代ではテレビゲームが世に出たわけで、それにより多少の外遊びは減少したかもしれませんから、こういった産業の変化はそこまで考える必要はないのかもしれません。

冒頭の2つの問題を解決する方法はないのでしょうか。
前述の私の例にある通り時間を潰すのに何の問題もなかった時代から、お金を使って安全とコンテンツ(習い事、遊び、スポーツ)を手に入れる時代になりました。
そんな中でプレーパークの生みの親である天野英昭さんという方は、素晴らしい発信をされており、実際に子どもの居場所づくり実現させました。↓このインタビュー記事、必見です。私がごちゃごちゃ言っても伝わらないですが、言いたいことはすべてここに集約されています。ちょっと長いですが5分費やす価値は絶対にあります。ぜひ読んでください。
先日記事に書いた200年以上前にグーツムーツとルソーが言っていたことを天野さんは繰り返し発信し、何より実行しています。

そういう場所を増やしていきたいものですが、常設のプレーパークはまだまだ少ないようです。行政と街の企業(←実は結構重要)と、そして市民、親御さんが思いを合わせれば実現出来るのではないかと思います。それがセンターピンとなり、センターピン理論に基づいて様々な問題(夏休み問題、放課後問題、M字カーブ問題、運動能力低下問題etc...)の解決につながると思います。

子どもの未来を創れる社会にしようではありませんか。



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